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1回目

三輪:さて、ここからは、新入生に対して言いたいことを何でも話していただくということにしましょう。西村先生の話とか、今の山本さんの話にそういったことも出てきたかとは思いますけれども。國府さんからどうぞ。

 

 

國府:私は数学なので、まずは数学の科目のことを言おうかなと思うんですが、何年かに一回ずつ理学部の一回生の授業を持つと、数学の壁にぶち当たるっていうか、思ったのと違うっていう人がいる。大学の数学が、高校の時とだいぶ違うと。高校の時には、数学が得意だったり、好きだったりしたのに、大学に入って、なんか数学がうまくいかないっていうふうに思う人がけっこう多いんですよね。それで、その辺をなんとかしてあげたいなって思うんですけど、数学ってやっぱり、自分で考えないといけないっていうのがすごく大きいと思うんですよね。しかも、分かり方っていうのは、段々に分かって行くっていうんじゃなくて、ずーっと悩んでいて、ある時パッと分かる。だから、悩む過程っていうのがすごく大事だなと思います。人によってどこがわかるか、わからないかっていうのは、すごく違っている。だから、人がスッとわかったことが、自分ではなかなかわからないということがある。私自身も、一回生の時にあることがなかなかわからなくて、でも他の人は、あれは簡単だとか言うんです。だけど、ずーっと考えてるうちに、ある時パッとわかった感じがすると、それまで分からなかったことが、嘘のようになって。それは、道具が使いこなせるようになる時、自転車に乗るときでも、なかなか乗れないのがある時ぱっと乗れるようになるというのとちょっと似てるのかもしれないと思います。そういうことがあるってことをわかってもらえたら、少しは必死にしがみつくようになるというか、自分で努力して、分かるまでがんばってみようというふうになれるんじゃないかなと。でも、なかなか難しいんですよね。いつになったら分かりますって言えないので。

三輪:振り返ってみればいろいろ言えますけどね。乗り越えるまでは乗り越えられるかどうかも分らない。

國府:ええ。だから、分からない時に教科書に書いてあることを暗記するようにしてしまうっていう人がやっぱりけっこう多い。でも、暗記するんじゃなくて、自分で手を動かすとか、問題を解くとか、ほかの本を読んでみるとか、人と話をしてみるとかいろいろすることによって、ある時、それぞれのタイミングでスッとわかるという、そういうことがけっこうやっぱり大事です。そういうことがあるんだ、数学っていうのはそういうもんだっていうことを、頭に入れて、それで、しかも大学の数学っていうのは、高校とずいぶんと違うんだということを頭に入れて、最初からしっかり自分で考えるというつもりでやってもらえるといいかなというふうに思います。

三輪:ありがとうございました。では、高橋先生。

高橋:今のはほんとにその通りだなと思いました。生物でも全く同じだと思います。さっき私が、細胞の振る舞いが人間に例えられるということをお話ししましたよね。これは、私の勝手なイマジネーションなんです。生物学は、わりと未開の地ばかりなので、なんでもOKというところがあります。答えを求めるんじゃなくて適当にぶらぶらしておけば、面白いものだらけなのでイマジネーションで遊べます。そういうことが許され、推奨されているのが京大の理学部。ほんとに素晴らしい環境ですので、それを存分に楽しんでほしいと思います。で、イマジネーションを広げるにはどうしたらいいかということなんですが。自分自身を肯定するのも品が悪いですけど、よく遊び、よく飲み、人と語り、たまにけんかもすることになるかもしれないけれども、そういうことをして。講義も、先生の立場としては「講義に出なくていい」とは言っちゃいかんのでしょうけど、まあそこら辺はうまいことやってもらって。私自身は体育会のワンゲルだったので、講義には出ずに山ばっかり歩いてましたね。でも、それは今の私の研究を支えているわけです。自然のこととか、あるいはど根性とか、いろんなことあるかもしれないんですけど、やっぱり、総合力がついたように思います。人間の総合力がつくのはやっぱり学部生の時じゃないかと思います。まあ大いに体育会…そうでなくてもどんどん外に出て、いろんなものを見てほしいなと思いますね。それと、ここからちょっとお説教ですけど、本は読んだ方がいいかなと思います。生物に限って言いますと、やっぱりそうやって自分自身を豊かにするとほんとに面白いものが見えてくる。そうすると楽しい人生送れるんじゃないかなっていうのが、高校生、学部生に対する私のメッセージです。

三輪:じゃ、長田先生。

長田:あ、はい。これの前に相談室の会議に出てたもんですから、ちょっとそれに引きずられてるのかもしれませんが。新入生の人っていうのは、やっぱり入ってきた時に、みんな、京大にいる人はこんなにすごいんだとか思ってしまって、自分だけがこう、特に数学に象徴されると思うんですが、数学わからないやと思って、落ち込む人がいっぱいいると思うんですよね。だけど、それはいろんな意味で間違っているんです。まず第一には、まあもちろん、すごい人もいるわけですけど、だいたいみんなそんなにレベルが違うはずはない。自分が分からなかったら、まあ、隣の人間もやっぱり何パーセントかの確率で分かってないわけですよね。その時に、やっぱりひとつは、いい友達がいればと思います。だけど、そうでなくたって、本を読むなりして自分なりに解決していくということが必要です。多分、大学に入ってくるまでは、独力でとか、あるいは教科書を見ずにちゃんと解きなさいという能力が求められてきたわけですけど、多分大学に入学した以降はほとんどそういう能力っていうのは求められない。別に独力でなくったって、どこかから何かを取ってきたっていいし、とにかく、問題が解決できればそれでいい。しかも、また、解決できなかったらできなかったでそれをちゃんと公表すれば、後の人がちゃんとそれを見てくれるとか、そういうことだってあるわけです。例えばアインシュタインが、重力と電磁気力を統一しようと思ってやった後半の何十年かは、ほとんど無駄に終わったわけです。だけど、それを誰かに尋ねられた時に、自分はできないけども、そういうことをやって無駄だったということをちゃんと残しておけば、後の人がやってくれると言ったとかいう話なんです。実際、それが今や、電磁気力と、素粒子にはたらく弱い力がちゃんと統一されて、進んできているわけですね。だから、何かを自分一人だけでやろうとかいうのは、そもそもなかなか無理なこと。そういうことも含めて、どんどん進んでいくのがいいんじゃないかなと思います。まあとりあえずはそんなところです。

三輪:私の番ですが、ちょっと違う話になるかもしれないけれど、なんで数学を学ぶ必要があるのか、というような話をしてみようかと思います。僕の友人のロシア人の数学者が、アメリカの大学に就職してるんですが、ある時、微積分を教えてた学生から、「先生がやっている(研究している)数学は、マンモスを殺すようなこと、つまり、我々がまったく見たこともないようなものを何とかしようとしているようにしか思えない。そんなことが何の役に立つんですか」というような事を言われたらしい。ちょうどその頃、僕は「数学科教育法」を教えることになっていて、この話を授業の導入に使いました。確かに我々自身がやってる、まあ、國府さんがやってる数学はそんなことはないでしょうけど、僕なんかがやってる数学が役に立つということは、正直ないと思っています。だけど、その我々が教えている微積分学とか線形代数学は間違いなく役に立つ。だからそれが、なんで数学やるのかっていう問いへの第一の答え。役に立つ数学っていうのは必ずあって、それを大学でまさに教えているということです。だけど、それだけではない。学んだ数学そのものが役に立つっていうことだけじゃなくて、数学を学んだことが役に立つということがあるだろうと思っています。私自身、私の場合は研究するっていうことになるけど、いや、学ぶっていうことでもいいと思いますが、それが役に立つ。私の場合、なんでも数学に置き換えて理解しようというような、変なところがあって。そんなことできるのかって思われるかもしれないけど、僕から見ればすべてのことは数学の世界にあるみたいな感じで。だから数学の世界で学んだこと、それは考え方なのか何なのか、いろんな事があると思うんだけれども、それが役に立つ。以前、工学部の先生に「学生の脳みそに汗をかかせてください。分かることばっかり教えても、それだけでは立派な工学者になれないから」って言われたことがあります。そんな風に思っていてくださるなんてありがたいなと思いました。これが、二つ目の理由です。僕はもう一つあると思っています。それを自分ではユリイカ体験と言っているのですが。ユリイカっていうのは、アルキメデスが、お風呂の中でずーっと考えていて、浮力のことが分かったときに、「ああ、分かった(ユリイカ)、分かった(ユリイカ)!」と叫びながら裸のまんま飛び出してったっていう、あれです。これは僕の好きな話の一つです。まさに、さっき國府さんが話してた、ずっと分からなくて、ある時あっと気がついたら分かってるっていうみたいなことですよね。そういうことは数学だけじゃないかもしれないけど、数学の場合は、それがある意味極端にでる。なんかやってて段々分かっていくのではない。小平先生が昔、「考古学者はいいですよね。少なくとも土が出てくるから、掘ってることがわかる。数学者は何にも出てこないから、他の人が見たら、何にもやってないんじゃないかって思うかもしれない」と、そういうことをおっしゃっていたことがあります。

誰か:紙くずはいっぱい出てきた。

三輪:確かに僕も今こうやって、話しながら、指で丸めて紙くずを作ってます。小学校の時から、なんか考えるときは必ず紙くずを作ってたんです。いや、だから、なんて言うか、そういうユリイカ体験みたいなことが、数学の場合には非常に純粋な形で出てくるんじゃないかと思います。それ自身が楽しいことだし、それも数学をやる理由のひとつかなといます。では、今度は西村先生、お願いします。

西村:はい。先ほども言ったとおりなんですけれど、先ずは「自分の前に壁を作らないで」ということです。数学だと、先ほどでてきたように、「隣の彼はわかっているのに自分はわからない!」と落ち込むことがあるかもしれませんが、生物は多様ですので、「一つのことで、彼がわかっているのに僕はわからない」という状況は、大したことではありません。先ほど高橋先生がおっしゃったように、歩いてたらその辺にいろんな新しい問題が沢山ころがっています。日常的に目の前に見える範囲でいろんな問題がころがっています。先ほど、「考えなさい」という話が出ましたが、私もそれが一つ大事かなと思います。もう一つのsuggestionとしては、面白いことを考えついたら、それを誰かに話して議論するのがいいと思います。学科や学部を越えて、いろんな人と活発にディスカッションしてほしい。「それは違うぞ、自分はこう思う」というのをやることによって、元々の考えがだんだんいいものになっていく。ディスカッションというと難しそうだけれど、とにかく友達と話す。で、もっと知りたいなと思えば、先生にどんどんコンタクトしていけばよい。理学部の先生方も必ず時間取って下さるんだから、遠慮なくいろんな人をつかまえて話し合ってみてはどうでしょうか。よく、「ジュニアの2年間で、自分の好きなものを見つけなさい」ということを言われますが、案外これって難しいんですよね。話すことコミュニケーションをとることを意識してやる内に何か見つかるかもしれません。

高橋:それで見つからへん時に落ち込むんじゃないですかね。だから、あんまり無理にそういうこと言わんと。

 


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